アトピー実体験ストーリー
前書き
僕はある計画を遂行するために、ひたすら貯金をしていた。
その計画と言うのが脱ステになるわけですが、予定では1年で100万円貯めるはずでしたが、1年と3ヶ月ほどかかってしまいました。
当然脱ステ期間は体を動かすのも困難だという情報を仕入れていたため今働いている会社を辞める前提で計画を進めていました。もったいねえ。
ただやると決めたからには引き下がれません。というわけで今回は会社に辞表を出し、実家に帰省してからの経過をお話したいと思います。
本編(会社を辞めるまでに・・)
僕は会社を辞める少し前からステロイドの量を減らしていました。
案の定、少量のステロイドでは症状を抑えきれなくなりアトピーは悪化しました。僕はその悪化を理由に辞表を出したのです。こうなることが分かって辞表をだした最低な人間です。正直今もその罪悪感は拭い切れていません。
自分の都合で辞めることになるので会社には申し訳ないと思っています。それでもこの機会を逃してしまったら一生悔いが残ると思いました。
ひとつしかない人生の中でアトピーと一生を過ごすなんて絶対に嫌だった。
だから僕は思いを行動に移したのです。会社からもう少し続けて欲しいと言われましたが僕はそれを押し切って辞めることを表明。僕の意思を感じ取ってくれたのか、会社も仕方ないと承認してくれました。
それからは実家に帰るための準備をしました。その準備が大変だったんですよね。何せステロイドを減らしている状態ですから、すでに全身からは滲出液ダダ漏れの状態です。
このままでは実家に帰ることなく孤独死を迎えるかもしれないと思った僕は、控えていたステロイドを塗ることにしました。すると1週間で体を楽に動かせるまでに改善することができました。やっぱステロイドってすごいわ。
最後に大阪を観光したかったのですが、お土産だけ買って帰ることにしました。当日となり、深夜バスで帰省。約6時間ほどかけて目的地の駅に到着しました。
そこには両親が迎えに来てくれていました。今まで一人で我慢してきた思いがすっと楽になったのでしょうか?僕はそこで涙を流してしまいました。
家族の温かみに触れ、僕は改めて絆の大切さを痛感したのです。帰省前、事前に僕が脱ステをすること、これから寝たきりになるだろうことも伝えたのですが、誰も反対しなかった皆に感謝の気持ちでいっぱいでした。
やっぱ家族って良いな。
実家に帰ると、ちゃんと僕の部屋が有り、何一つ家具の配置は変わっていませんでした。
僕は旅路の疲れを癒すために、一年ぶりの部屋の懐かしさを感じながらぐっすり眠りにつくのでした。
そしてここから地獄の脱ステ生活が始まります。
寝たきり、地獄の脱ステ生活
ステロイドの使用を抑えていたためか、脱ステ3日目にしてリバウンドと呼ばれる症状が出始めました。まず全身がひどいかゆみに襲われます。
そのかゆみを我慢することができずに知らず知らずのうちに引っ掻いてしまいます。それから数日後、全身に炎症を起こし、掻き傷から浸出液と呼ばれる体液が溢れ出ました。
顔も一気に面影がなくなり、まるでホラー映画に出てくるゾンビそのものでした。Walkerだ、にげろおーー。
もう何もしたくない、何かをするにしても全身が痛みで支配され、布団から出ることさえままなりません。こうして僕は一週間で寝たきり状態となってしまいました。
一番苦痛なのが、お風呂でした。まず移動すること自体が痛みとの戦いで苦痛なわけです。
服を脱ぐ際は服の摩擦で皮膚の皮が剥がれ床には大量の落屑が溜まります。(その片付けを親にさせているので本当に申し訳なかったです。)
シャワーのお湯が全身の傷にしみてお風呂の中で一人悲鳴を上げていました。全身が炎症を起こしているせいかお風呂に入ると体が燃えるように暑く感じました。
動悸を起こし何回か失神することもありました。意識がぶっとぶあの感覚。今思い返すだけでもトラウマです。
お風呂から上がると今度はすさまじい乾燥が襲い、痛みとかゆみの同時攻撃です。
それでも感染症を避けるために3日に1回、お風呂に入るようにしていました。その地獄を味わいながら我慢の日々を過ごしたのでした。
1ヶ月目を迎える頃、リバウンドの症状はなお続きます。そして今度は寒気が襲いかかります。まだ秋に入って間もない時期だというのに全身が凍えるように寒いのです。
その頃から毛布を布団の上にかけて寝るようになります。(体温調整ができないのは薬の副作用により自律神経が狂っていたためだと思われます。)
お風呂と食事、排泄以外は布団から出ることはありませんでした。できなかったという表現が正しいか・・
2ヶ月を迎える頃、リバウンドの症状は相変わらず続きます。しかしピークだった頃に比べると浸出液の量が少なくなりました。
その代わり、膝先が勝手にぴくっと跳ね上がる現象がではじめます。←(これは完全に自律神経の異常です。)
その反応が地味に傷口を刺激します。
すこし病状が和らいだのが3ヶ月を迎える頃でした。何日かに1回浸出液がでるものの以前より明らかに少なくなりました。
炎症で赤くなった肌は黒くなっていきました。←(色素沈着です)落屑も以前よりは少なくなりました。
それからは症状が良くなったり悪くなったりの繰り返しです。
ただ確実に症状は改善に向かい少しずつ元気を取り戻していきます。脱ステから半年が経ち、ようやくリバウンドの症状は抑えることができました。
あとはアトピーの症状を改善させるだけ。ようやく日の目を見ることができたような感覚でした。僕は体を動かすことが可能になったので日々の生活に運動を取り入れました。生活リズムが崩れていたことからその改善もすることにしました。
それから数か月が過ぎる頃、その見直しの甲斐もあり努力が成果に変わります。そう見事アトピーの症状を抑えることに成功したのです。
ちょうど貯金も底を尽きかけていた頃でした。脱ステに100万をかけ、アトピーを治すことを誓った僕。その成果が実り始めた時の貯金の喪失。正直まだ完治したとは思っていません。
さて問題はここからです。
はたして社会に出てアトピーの症状が出ないと言い切れるだろうか。今回の脱ステでは免疫力の向上と”原因”を取り除くことができたからこそ症状を抑えることに成功しました。
社会に出ると原因を取り除くことはほぼ不可能でしょう。
現時点でその原因に耐えうる免疫力が備わっているかはわかりませんでした。僕は怖かった。しかし貯金を使い果たしてしまった今、生活していくにはお金が必要です。
僕に与えられた選択肢は社会に出る他ないみたいです。
あとがき
いずれは社会に出なければならないと思っていました。
そして本当に完治してから社会に復帰したいという思いがありました。症状が出なくなったとは言え、それを完治として扱っていいのかわかりませんでした。
僕はもう少し様子が見たかったのと体力作りのためバイトから始めようと決意しました。まあそこからまた地獄の始まりになるわけですが・・
それについてはまたの機会にでもお話ししましょうかね。
実際に脱ステをしたからこそあなたに言えること。脱ステは絶対にしないことをおすすめします。
確かに得られるものは大きいものですがそれを得るために失うものがあまりにも大きすぎます。お金、時間、社会的信用。これらを取り戻そうと思ってもなかなかすぐに取り戻すことはできません。
だから脱ステは絶対にしないこと。アトピーを確実に治す方法は脱ステ以外にもあります。ただこれっていう治療法は僕からは提案することができません。結局アトピーは自分で治すものだから。
自分の力で見つけなければ完治させることはできません。ただそのヒントになるような情報は当ブログにちりばめられていますので、一つ一つ確認していけば答えが見つかるかもしれません。